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資格・検定に関する雑談の最近のブログ記事

世界文化社のパズル雑誌で「段・級位認定制度」がある。1級まで取得した私は、最近始まった段位にもまた挑戦している。

仕事が忙しくてなかなかパズルを解いている余裕などはないが、電車の移動中や寝る前のちょっとした時間の楽しみとなっている。

「ナンクロ」「クロスワード」「ナンプレ(数独)」「漢字パズル」の4部門があり、最高5段まで取得できる(何年かはかかるが・・・)。皆さんもやってみてはいかがかな?

 

確かにたくさんの本を今まで出版してきた私ではあるが、印税生活をしているわけではない。みんながあこがれる自由業ではあるが、そう簡単にできるものではない。

直木賞作家や有名な漫画家ならともかく、本の印税だけで生活するだけの売り上げを出すことは一般人には不可能といえる。何十万部ものベストセラーが出せればよいが、そうでない限りは年に5~10冊程度の本を出し続けていかないときちんとした収入にはならない。ほぼ1~2カ月に1冊のペースである。これを何十年も続けていくには、それ相応にコンテンツをもっている人でなければならない(私はその点コンテンツには不自由していないが・・・)。

他にも、以下のような方法を用いれば、継続的に安定した収入を得ることができる。たとえば「年度版」などを販売すること。ほぼ同じコンテンツで毎年購入する人が入れ替わるような分野(入学試験の対策本や就職試験対策、出産に関する本など)では、同じ本が毎年継続的に売れ続けることになる。大学の講義などで教科書として採用するのも確実に売れる方法の一つである(しかも試験で「持ち込み可」にすれば確実に買ってくれる。もちろん、毎年のように新しい視点を入れたり、最近のトレンドを取り入れたりする必要はあるが、それでも一から書くよりは随分と楽である(私の本の多くはこのパータンである)。

まあ、といっても、よほどの知名度がない限りは、他に肩書のない人に継続的に新しい出版の話など来ない。私も大学で教えていたり、テレビ・新聞などでコメントを言っていたりするからこそ、新しい企画をもってきてくれるものであろう。やはり、しっかりとした本業をもってこそ、印税も大きくなっていくものだろう。

 

やりました。引き分けで決めたのも今年を象徴しているようです。

NHKのBS1で息子とともに生で胴上げを見ました。息子はドアラの方が気になっていたようですが。

いずれにしても、今後のCSと日本シリーズ、アジアシリーズでの勝利を願っております。

今回の総理府の調査結果では、踏み込んだ指摘がされているようだが、実態はもっとひどいものが多い。公益法人になぜそれだけお金が蓄積されるのかについて考えてみたいと思う。

不適切な料金設定の内訳として、以下のようなものが今回指摘されている。

・手数料を実費より高く積算した

・資格試験で以前合格した科目分を受験料から割り引かなかった

・講習で不要なテキスト代を受講料に含めていた

これらの中には、人気のある有名国家試験も含まれている。私が実際に受験したものもある。基本的には「手数料等に係る積算根拠の公開」が最も重要であろう。

国家試験である以上は当然であるが、これについては検定事業者の腰は重い。試験の実施や採点などを入札制度にすればコストは下げられるが、秘密の漏えいや個人情報との関連で、それはできないという。果たしてそうだろうか?

それならば少なくとも、講習などの講座料金や資料代金は安くできないか?印刷であれば誰がやってもさほど差がないのであるから、仲間内の業者でなくてもいいのではないか?市場原理を取り入れない公益法人の体質があるのであろう。

公益法人改革は簡単なことではないが、少なくとも世間の一般常識や市場の競争原理を取り組んでいない現状では、資格・検定試験の制度改革は不可能と言わざるを得ない。今回の調査は国民からのクレームをきっかけに行われたものであったが、氷山の一角にすぎない。総務省ももっと踏み込んだ問題点を指摘してくれればよかったのであるが、そこまで踏み込めなかったのだろう。

クリーンで透明な試験運営がなされてこそ、そしてそれが試験に対する社会的な評価の向上となり、ひいては試験の合格者増にもつながるのである。国家試験だからといって横並びの対応をしていては問題である。

世界に誇る資格・検定大国の日本。早い信頼回復と是正が求められる。私も受験生を代表して、お手伝いできることはしたい。

本日朝に、総務省からの「資格・検査検定制度」に関する調査結果が公表された。抽出された139の資格・検定制度の中で32制度が料金設定が不適切と指摘され、是正を勧告されたのである。

料金設定についてはさまざまな考え方があるが、今回の場合には、受験料の割引に対する物や講習会の料金に関する物、手数料が不当に高い等が主たるものである。私も以前から指摘していたが、クオリティーを保つためとはいえ、不必要に料金がかかるような試験は、試験の社会的信用自体に疑問を投げざるを得ない。

こういった資格・検定試験の多くは公益法人などが運営しており、これらの法人には官僚からの天下りも少なくない。彼らの給料もこの資格試験制度のお金から出ていることは言うまでもない。また、総務省の調査結果によると、計23の公益法人で不必要な積立金が計121億円もある。これこそ「埋蔵金」ではないだろうか?

「資格・検定制度」を維持していくにはどのくらいの費用がかかるか?以前にも近年は試験実施のための費用はどんどん下がってきていることを私は指摘しているが、受験料を下げたという話はほとんど聞いたことはない。ちなみに、私の会社ではマークシート式の模擬試験を1回やって1000円か1500円でも十分利益は上がっている。全国的に大きな試験会場を借り、広報活動も行い、試験の構成を保つために費用をかけたとしても、3000円もあれば十分に運営することは可能であると考える。つまり、これを超える検定試験というのは、特別な事情のない限り、「高い」ということがいえよう。

久しぶりに、資格制度にかかわる重要な勧告が出た。資格制度の将来のためにも、私が責任を持って、自分なりの分析を続けてこの場で書いていこうと思う。

中日ドラゴンズのファンの私は、最近はとても機嫌がいい。落合監督のことは残念だが、チームが勝つと気分がいいものだ。

以前にも書いたように、中日ドラゴンズの検定試験は公のものはないが、あれば是非とも受験したいと思う。まあ、それほど受験者数は多くないかもしれないが・・・・。

今シーズンの追い上げを見ていると、「最後まであきらめちゃいけない」ということがよくわかる。試験勉強などでも同様のことが言える。ゴールが見えたといっても、安心しないで最後まで頑張ってほしい。

世の中では「不況になると人々は武装するために資格・検定試験にチャレンジする」と一般的に言われている。果たして本当だろうか?

受験者数の多い試験の統計データを見てみても、景気による影響は報道されているほどはないといえる。中学生・高校生などの若年層の受験者の多い検定試験は、「塾でみんな受けるから」「推薦入試で有利だから」といった理由で受験することが多いために、景気の動向による影響はあまりないことはいうまでもない。ただ、大卒見込者や社会人などいわゆる就職・転職希望者の受験者が中心となっているような検定試験においてもさほど影響が多くないような試験が多い(一部これと異なるものも存在する)。

確かに、かつてのバブル経済のように、資格や経験の有無などと関係なく「とにかく人が欲しい」「大量採用したい」という時代であれば、別であろう。しかし、このバブル景気以来、日本は景気がいいといっても必ず仕事にありつけるというわけではなく、また希望の職種に就けるわけでもなかった。そこで、景気のいい悪いに関係なく、自分の就職のため、よりよい仕事への転職のため、給料のアップのために、資格を取得したり、検定試験にチャレンジしたりする人が増えてきた。

企業が従業員に対して資格取得支援を行う場合にも、業績によって対応を変えることが少なくなったことも理由としてあげられる。いつの時代にも有能で知識・技能が豊富な信頼できる従業員というのはほしいもので、そういった勤労者のモチベーション、向上心を高めていくためにも資格取得を奨励しているところが多い。

結局のところ、最近は「あまり関係ない」ように思える。

ここでもう一つ笑い話を。とある幼稚園での運動会の話である。最近は、足の速い子と遅い子を意識づけさせないように順位をつけないという考え方があるようだが、この幼稚園では徒競争のゴールの直前で先生が待っていて、そこからみんなが手をつないでゴールをするという演出があるそうだ。SMAPの歌にあるように「ナンバーワンにならなくてもいい」という精神の表れだそうだ。

ただ、これでは「オンリーワン」もできそうにもない。長所や短所というのは人との違いであり、それぞれが尊重されなければならないと思う。競争があってこそ人は成長するのであり、またその競争での勝利を目指して努力するのである。これでは社会主義と同じだ。

競争における敗者には、「敗者復活の制度」を設けてあげればいい。ある分野で駄目だった人は、別の分野で頑張ればいいのだ。日本にはこの「敗者復活の制度」がほとんどないのが現状である。これが「他人のサル真似」につながっているのではないか?

結局のところ、周囲の目を気にするあまり、日本では他人と異なることをすることを「よしとしない」ようだ。これは保身が大きな原因の一つである。自分が変革を行った場合、それに伴うリスクを負うのも自分である。このリスクを恐れて、思い切った変革をせず、周りに合わせようとするのが日本人であろう。これでは独創的な発想をする人や、みんなを引っ張っていくようなリーダーは生まれようがない。

とかく、日本社会では目立った行動をすることに対して批判の目が多い。ただ、成功者になった暁にはこういった目立った行動は「個性」として美化されるのである。ヒーローを称賛する国民性がありながら、そのヒーローを育てようとする国民性は欠けていると言わざるを得ない。

このように「他人を真似る」というのは、自分の保身に走って、無難な選択をしようとする表れではないか?だとすれば、野心や冒険心、ハングリー精神がないという若者を批判することはできないであろう。

 

試験の勉強についても同様のことが言えると思う。他の人のまねをして合格するというのは、日本人には一般的である。合格者が使ったテキストを用い、合格者が多いと評判のスクールに通い、それで自分も同じように合格できると期待する。大筋では間違っていないが、それが自分にとって「最適」かどうかは別問題である。

評判のいいテキストであっても、自分にとっては難解であったり、また自分には優しすぎたり、ともかく「本当に自分に必要なもの」とは限らないのである。他人と同じようにそれをこなすことが必ずしも近道とは限らない。

マニュアル型勉強というのも一理はあるものの、これがすべてに当てはまらない。大筋は信用しつつも、いざ問題が生じた時に自分オリジナルの解決方法を見つけだすことができなければ、「試験の合格」だけにとどまり、「人間としての成長」にはつながらないと思われる。

別の話をしよう。ニューヨークで地下鉄に乗っていると、女性やお年寄りに席を譲る人がとても多い。女性を大切にするという心もあるのだろうが、「ここで私が席を譲れば周りの人から立派なことをしたと称賛されるだろう」という心が少なからずあるものと思われる。遠い所に座っている人でも、「こっちにどうぞ」と声をかけてくれるのは国民性によるものだろうか。

これに対して、日本では電車で席を譲ることがNYに比べると残念ながら少ないと言わざるを得ない。言い出すのが恥ずかしいからなのか、それともいいだすきっかけをつかめないのか、いずれにしても残念なことである。もっと席を譲ることが日常的になれば、たくさんの人がするであろうに。この点では残念である。

他人がしていることであれば喜んでやり、自分しかしないようなことは心の中で思っていてもあえてしない。こういったところに問題点があるといえよう。

有名な笑い話がある。川で人がおぼれているときに、何と声をかければ川に飛び込むかについては国際的な違いがある。

アメリカ人の場合には「ここで君が飛び込めばヒーローになれるよ」というと飛び込むらしい。英雄を称賛する国民性がよくあらわれている。

また、イタリア人の場合には「ここで君が止めこめば女性にもてるよ」というと飛び込むらしい。ラテン系の人はこういうものなのだろうか?

ところが、日本人を飛びこませようとする場合には「みんな飛び込んでいますよ」というのが最も効果的らしい。周りの目を気にして、人がやっていないことは自分からやろうとしないという悲しき国民性である。こういうことでは将来はあると言えるのだろうか?

日本人はいかんせん周りの目を気にして行動することが多い。他人に比べて変なことをしていないか、ということを異常に気にするのである。これはなぜであろうか?

外国ではそういうことはない。あくまでも他人との違いは「個性」の一環であり、それはそれで尊重されるのである。かえって、他人のまねばかりしている人は評価が低いことも多い。

ところが日本ではそうではない。「出る杭は打たれる」という言葉の通り目立った行動をすることは帰って人の反感を買うことも少なくなく、また「空気が読めない」という言葉の通り、周囲と歩調を合わせることができない人は嫌われる。

確かに、常識の枠をはみ出た行動はそうかもしれないが、常識の範囲内で特殊な行動をすることがそんなに変なことだろうか?もっと個性が評価されるべきではないだろうか?

まず、「人のため」にする人はすばらしい。ただ、まずは「自分のため」にする努力することが重要であろう。自分のために努力ができない人は、人のためにも懸命には努力ができないでしょう。

では、「自分のため」に努力する人は、直接的に自分のため、それとも間接的に自分のため?これは人によって違うであろうが、間接的にという人が多いのではないか?ひいては自分のためにということを期待しつつも、他のためにも頑張る。直接的な利益がなかったとしても、とりあえず今のベストを尽くす。こういったことが一般論であろう。

何分、努力をしている人という人は輝いており、人から見ても尊敬に値する。私自身もこういう人物であり続けたい。

 

東京の我が家でも蝉の季節が終わりつつあり、夜はコオロギなどの秋の虫の時間となり始めた。まあ、うるさいことはうるさいのだが、自然に親しむという点では子どもの教育にとってもいいことであろう。

なお、昆虫に関する資格といえば、ファーブル検定があげられる。私は昨年度も受験したが(今年はまだ要項が発表されていない)、子どもでも受験できるこの検定は虫好きにはお勧めだ。悠仁親王殿下も虫の図鑑を見ているそうだから、受験してみてはいかがだろうかねえ?

 

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